津軽塗は宝石塗

津軽塗は、もとは福井の若狭塗の職人が津軽藩に招聘され、技術を教えたのが始まりと読んだことがあります。若狭塗は作る家が随分減りましたが、確かに津軽塗の元は若狭塗なんだなと感じる面影が残っております。(機会があれば見比べてみて欲しいです。)

 

津軽塗、輪島塗、なんて呼びますが、産地の名前がついているだけで、津軽塗も輪島塗も、技法に関しては共通しており、土地ごとの呼び方に違いはあれど、似たような印象の加飾はどこででもあると私は認識しております。

 

漆器作りは、京都や輪島のように工程を分業して作る産地もありますが、津軽は木地作り以外を全部ひとりで作る職人が多い産地だと思います。

津軽塗だと、50工程ぐらい。ひとくちに50ぐらいと言うのは楽ですが、漆は何をするでも時間が掛かる素材なので、集中して気持ちがのっている時も、諸事重なって気ぜわしい時も、職人の集中力や忍耐力を試すがごとく、ある程度時間が掛かるので、それを少なくとも50回は堪えた結果、生み出された美しいものが漆器。

 

デジタル機器でチャチャッとコピペしたり編集するのが当たり前の私達には、なかなか想像出来ないようなスピード感の繰り返しですよね(笑

職人の命、時間、精神みたいなものが、その間ずっと木地にこめられて出来上がる訳です。そして出来た津軽塗は、堅牢で美しく、一生ものの器と言っても過言ではありません。

 

津軽に若狭塗の職人が招聘されたのは、漆器産業を興して、他藩へ販売し、外貨を稼ごうという意図がありました。津軽は寒くて米もたくさん取れない土地柄、貧しい藩だったと思います。だから産業を興して、名産品を作ることに腐心した経緯があります。

 

既にある産地よりも見事なものでなければ、差別化できないでしょうから、あれこれ試すうちに、若狭塗のように高価な金紛を使うのではなく、安い錫の粉を使うことで金のように見せかけ、かつ豪華に見える色艶やかな仕掛け模様を作り出したのが当時の工夫のひとつでした(意訳

 

そして出来上がった津軽塗は、お殿様やお大尽しか手にできない器でした。現代は、幸いなことに同じクオリティのものを平民全般、【どなたでも】手にすることが出来ます。

漆だけではなく工芸品全般ですが、昔からあるものは時間を掛けて昇華された機能や性能、価値を内包しているものが多いです。そして、美術品のジャンル以外は、使ってみるという体験や経験があって初めて良さが分かるものも多いもの。

店主、せっかくどなたでも手にすることが出来る時代に生まれたなら、ぜひお殿様やお姫様が慣れ親しんだ「漆の良さ」を味わってみて欲しいのです。

津軽塗は、美しい色合いが魅力のひとつ。華やかです。もやもやした抽象柄の中にも複数の色が隠れており、その内の一層は錫の銀。飴色の透き漆を通すと錫の銀は「金色」になり、輝きに変化が出ます。そんな金属的なきらめきがアクセントとなり、津軽塗(唐塗)は、奥行きのある光を放つのです。

 

長い時間を掛けて仕上がる美しい色、艶。

津軽塗は、別名「宝石塗」と呼ぶにふさわしい漆器だと思います。