シン・ウルトラマン

映画「シン・ウルトラマン」(C)2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C)円谷プロ

何人かのお客様から「シンウルトラマン、良かったから見に行け」と言われるもので、休店日に見に行ってきました。以下、ネタバレ多発。要注意。

館内は、若い人だけでなく、ウルトラQやウルトラマンをテレビで見ていた白髪頭が半分いたような印象。私もそっち系か。

シュッとしたプロポーション、余計なシワもなく、美しいウルトラマンでした。(中の人、スーツアクター氏、よくもこんなに美しい体形の方がいたものだなと後になってため息)

 

空想と浪漫。

そして、友情。

 

見終わって、どこに友情があったのかいまだに分からない。

 

小さい頃は、正義の「味方」ウルトラマンは、人間の味方、人間の仲間、人間と同じ存在に見ていた訳ですが、映画の中のウルトラマンは「外星人」

ザラブ、メフィラス、ゾーフィと、他の外星人達は地球人と「対等に」「友好を結ぶ」なんて頭にもない言動。もっと下に見ているし、無くなろうがどうでもいいぐらい無価値な存在として見ている風情。

 

ウルトラマンは、本来そういう外星人側の存在のはずなのに、他者のために自分の命を投げ出す人間・神永の行為を目にして「興味がわき」「もっと知りたくなり」神永と融合して禍特対のメンバーとして過ごす。

 

融合しなければ神永は死んでしまうので、生かすために手っ取り早く融合したと思われる。地球人を知るために都合が良かっただろうし。

 

 


映画の尺の都合で、ディテール設定をいちいち表現も出来ないからなんでしょうけど、漫画的な表現というか、概念的だったり象徴的な表現の読み取り解釈力がすごく試された気もします。

 

ウルトラマンと融合してからの神永が、常に本を速読し続けている様子が出てきますが、あれは時間の経過や、ウルトラマンが歴史や文化など地球人の情報を総ざらいしているのを表現しているのですよね。

 

その合間に交わされるメンバーとの会話も、たくさん繰り返されたと想像するのが正しいだろうし、ウルトラマン神永と地球人達との交流は、人間には短い時間だろうが、ウルトラマンには理解を深めるには十分な時間経過だったとも解釈できます。

 

でもその先に友情があったのかと言われたら、私にはやっぱり分からない。

ヒーローは悪者と戦い、勝つ。

その結果として、弱者が救われる。

私それほど熱中してウルトラマン見ていなかったせいか、どこか画一的なヒーロー群の1キャラとして見ておりました。

 

でもウルトラQもウルトラマンも、社会問題をテーマにしていたので、そんなに水戸黄門的な勧善懲悪ではないし、複雑な気持ちになるような話もあった記憶が映画で蘇りました。

 

映画なの中では何故か日本にしか出現しない禍威獣。どうにかしろと押し込んでくる他国や、米軍からの武器提供に依存する国防。代償に莫大な軍事費を支払う日本政府。外星人の思惑を読み取れず騙される政治。読み取ったところで阻止する能力を持たない地球のレベル。

何だか、現実社会とあまり変わりがないような問題が折りこまれていて、ウクライナ侵攻や近隣の核保有国があまり友好的ではない国々という現実と相まって、不穏で不安しかない。

ちっとも守るべき美しき世界に見えないのですよ。だからどうして、ウルトラマンが「自分の命を使い切ってもいい」と思ったのか、よく分かりませんでした。

 

でも、一方で、ザラブやメフィラスに対しては、「悪を断罪せよ(許しまじ」と感じたし、ゾーフィに至っては「なに勝手なこと言っちゃってんの」と呆気にとられました。

管理者としてのゾーフィ。

地球人は未熟過ぎ。成長のきざしが見えない。精神レベルが低すぎ、そこから抜け出る進化も期待出来ない。今までだいぶ様子見したけど、そろそろ見限って一掃しよう。


元々住んでいた私達の権利は?

勝手に管理してたって後出しジャンケンで言われても、何してくれてたんだっけ?ふぁ?ですよ。他の命に対する倫理観がおかしいじゃないか、光の国の人々は。

 

 

ゾーフィは本当はゾフィなんでしょう?

お兄ちゃん、どうしてそんなに変わってしまったの?的驚きがあって、何とか星人の擬態なんじゃなかろうかと頭の中、考察が目まぐるしかったです(笑

 

ザラブやゾーフィには、人間は、私にとってのゴキブリのような存在に写っていたかもしれません。生きている価値の無い存在。

 

ウルトラマンが、地球人に可能性を感じたとしたら、ザラブを退け、メフィラスを退ける過程で、使命や仕事に一生懸命な現場の人々の存在を見たからだろうか。

 

 

子供を救うため、躊躇なくかばい死に掛けた人間・神永を見て「興味を持った」ウルトラマン。興味の素が、神永一人ではなく、他の地球人にもあると観察したウルトラマン。

一人では非力でも、協力し合って大きな仕事を成し遂げる。外星人は個体の能力が高いから、他者と協力しなければ発展できない地球人は不完全体に見えたはず。ウルトラマンにはそこに可能性を見たのかもしれません。

 

ウルトラマン自身、毛色が違った個体だったのだろうな。ゾーフィの当たり前の結論に納得できなかった。地球人に興味を持つ好奇心。

でもそれだけじゃウルトラマンが自分の命を代償に地球人にチャンスを、神永に命を与える理由としては弱いと感じるわたくし。ずっと謎に感じて考えているのです。

 

 

ウルトラマンは人間とは違う価値観で生きているから、理解のしようが無いとは思いたくない。

 

 

私の妄想では、融合している神永の感情や意識もウルトラマンは共有していたに違いない、と至りました。神永の感情や人間愛は、ザラブやメフィラス、ゾーフィとのやり取りの中でも波立って押し寄せていたに違いないと思うのです。

 

私の妄想の結論は、この友情は、浅見分析官とのバディ関係ではなく、人間・神永との間のことなんじゃなかろうかと思っております。

自分の命を投げ出しても救いたくなるのは大事な人。

 

興味のきっかけ、人間・神永と融合し観察。面白い、何故だ、なんて観察を楽しみつつ、地球文明文化の情報をインプット、彼と彼を取り巻く人間関係を観察。いいところも悪いところも観察。

ウルトラマンにとって本来地球は数多のひとつでしかない。神永には唯一の大切なもの。一度死に掛けた神永は、失ったかもしれないいろんなものをより強く愛おしく感じ、守りたいと感じたことだろう。

 

外星人に対抗できない無力感が全世界を駆け巡った時も、神永の心は諦めるなと訴え続けていたのではないかと思うのです。

都度感じる人間・神永の意識を観察するうちに、好感を持ち、種族を越えたシンパシーが出来たということなんじゃないかと妄想しております。

映画を見た時は、まだ自分の中の補完妄想も無かったものだから、「え?ウルトラマン死んじゃうの!?」「そんな価値、ウルトラマンにとっての地球人には無くない?」ともやもやしながらも、訳もなく涙が流れて困りました。悲しくはないのに、ただ泣けてくるのです。

 

 

Twitterで見かけたこの投稿。私みたいに理由の分からない涙があふれた人がいるんだと思ったら、言語化しにくい感情を揺さぶってきたこの映画は私が欲していた何かを持っている作品だったのだろうと改めて思います。

 

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個人的萌えシーン、ナンバーワン。

ウルトラマン神永になってから、情動乏しくなるのですが、ラストに向かって、かすかに微笑みを見せるようになるウルトラマン神永が、凄くイケメンに見えて困りました。

 

そもそもウルトラマン達外星人には表情筋が無い(笑)種族的に感情表現が無いのかもしれないのに、微笑むようになっていく変化が、ウルトラマンを近く感じて、キュンキュン(笑

 

エンドロールで流れた米津玄師「M87」
「君が望むなら それは強く応えてくれるのだ」という歌詞にまたまた滂沱の涙。私の妄想の元ネタはこの歌詞。人間・神永の望みがウルトラマンを動かしたと思いたいのです。