目覚ましを止めた瞬間、今日は休みたいと思いました。
特別疲れていた訳でもなし。
最近はお酒も休んでおり目覚めのスッキリ感が戻ってきていました。
だけど今日は、布団から出たくないと思ってしまった。
どうしようかなと考える間も無く、沈み込むように寝入り、目覚めたら世の中は真っ暗な時間。
コロナ前なら、店を休む=稼ぎがゼロですから、罪悪感や不安感が心の片隅にあったものですが、コロナの世の中は、自分の努力の及ばない要因がありすぎて、私が至らないからだと後悔や懺悔する気がすっかり失せました。
棚卸を終え、確定申告の準備にあれこれ集計していると、昨年度の業績の悪さが数字となって見えてきます。数字上は、体感より良かったものの、1年よく持ったなと思うレベル。パートで補填しつつ、慎ましやかに徹し、浪費を抑えて頑張ったからだなと自分をほめてあげたいぐらい。
母が昔、慣れない経営の難しさに打ちひしがれた時に、「なんでもないよ」のおまじないを教えてくれた事があります。
ついてない自分に焦点をあててかわいそがり過ぎても、前に進めない、いい方へと変化できない。こういう事も生きてりゃ起きる、でもずっと続かない、過ぎてしまえばどうでもない。こんな事はよくある。誰にでもよくある。自分だけが特別じゃない。「なんでもないよ」のおまじない。
今のわたくしは、淡々と出来ることを繰り返す行動と、その事で心が疑問を持って暴れないようにする修行の日々をイメージして暮らしております。とはいえ、いつまで続けるのかなと思うところもあるのです。
また「まん延防止」が出そうだなというニュース。
世の中の人々は、2年経ってもコロナとの共存方法に自信が持ててないのかと思いました。私は、ワクチン接種は人様のお世話になりましたが、手洗いや消毒とマスクを忘れずにおります。それ以上、個人に出来ることなんて無いと理解していますし、その結果罹患せず今に至っているので、これを続けるだけと思っております。
飲食店を閉めて、人流を止めてどのぐらいの効果があったのか…
総括も出ずのまま、また制限を課していくのか…
社会が止まれというから、自分は頑張りたいのだけれど、それが出来ないというストーリーが望ましいと思っている人が多いのだろうかと陰謀論が浮かんでしまうわたくし。
引きニートのような暮らしが、存外心地よい、このままでいたい。何ならこのまま働きたくない。労働は楽しいより辛いことが多い。そういう人が、コロナ前の生活に戻りたくないと駄々をこねて、まん防ウェルカムを叫んでるんじゃないかという陰謀論。
頑張ってあれこれやってきたけど、やっぱり自分なんて頭打ち。この先も賽の河原のような努力の日々をまた始めるなんて嫌だ、頑張ったところで成功の見通しが立たないままだという現実を見たくない。そんな人達がまん防ウェルカムを叫んでるんじゃないかという陰謀論。
稼がなくても給付金入ってきた方が得、うっしっしな人が大声でまん防ウェルカムを叫んでるんじゃないかという陰謀論。
先日、こまやさんが尊敬する人間国宝の作品を見て、自分とのギャップに打ちひしがれたとメールをくれました。こまやさんは、自分に足りないところを見極める目と、未熟な自分を認める強い心をお持ちの方。今出来ていなくとも、先々出来るようになりたいから頑張るといいながら、今出来ていない自分がやっぱり悔しくて、短くぼやきを綴って来た文面が、私には尊いものに見えました。
私もこまやさんのように、成るのが難しかろうが自分がそうなりたいという気持ちを大事に生きていきたいです。
だけど、その他大勢の数に負けてしまう現実もある。
まん延防止再びって、あなた達この先何回それやるの?いつ止めるの?政府が止めると決めたら止められるの?自分が決めないと止められないよ?でいつ決めるの?この先はどうなれば満足なの?と漠然とした他者への不満が溢れてしまった模様。
その事に落ち込み、ずる休みして眠り続けちゃった模様。
仕方ない、溢れる気持ちをどうにかしないといけない時もある。
いっぱい寝て、機嫌を直したし、多分、木曜から機嫌直してまた同じ繰り返しに戻れるはず(だといいな
私は、ずっとこのコロナの制限がある世の中に不満を持って生きているんだなと改めて自覚。行きたい所へ自由に移動したい。公共のための制限は期限付きでお願いしたい。大人だけど我慢には限界がある。
私の場合、自由を楽しむことが相当生きるモチベーションになっていたんだなと思います。大学を県外に決めて家を出て一人暮らしを始めた時。結婚せずに一人で生きていく事を認めた時。勤めていた会社を辞めた時、自分の店を始めた時。結局、自分が我慢したくない、自分のやりたいことをやりたい、それだけが自分を動かしてきた気がします。
真っ暗な部屋の中で目覚め、もう体は起きたいのだけど、気持ちがいいガーゼケットの肌触りが手放しがたく(店で扱っているKONOITOのガーゼケットは本当に最高の肌触りなのです
起きて、おめざのコーヒーをゆっくり飲みながら、たくさん寝た後だし「体が楽」を体感。
いつまでも若いつもりで50半ば、江戸時代なら自然死しておかしくないお年頃。
パートを続けている時点で、労働時間を付加した生活だし。
開業した40代の自分もやる事多くてへとへとしていたけど、50代になったらもっとへとへとしてもおかしくないんだったと思えば、憧れの週休二日制を導入のタイミングかなと。すでに、コロナの2年間で、テスト運用=休んで売上がどのぐらい減るか、それでやっていけるのかは見えた訳だし。
開業当初、ベンチマークで見ていたお店が、週休二日にしますと告知したのを見て、どうやったらひとり個人商店でこのやる事がとめどなく溢れる状態で週休二日できるんだろうかと思ったものですが、その方の経営年数を思うと10年目ぐらいでした。そろそろ経験値の貯金もたまって、手抜きできる何かも増えた頃合いだったのもあるんだろうかと今なら思い浮かびます。ちょうど私も10年目。
実店舗を週休二日にしたところで、店を開けないだけで仕事は家でやったり仕入れに出掛けるのは今までと変わりはないとは思いますが、新規開拓に力を入れてやっていくなど、過ごし方の中身を考えてみたらどうかなと浮かびました。今年はやった方がいいなと浮かんだことをやればいいと決めたので、早速浮かんで来たことを形にしていこうと思います(ずる休みの功名
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