まだ繰り返し読んでおります。最近は、通して読むのをようやく止められた。好きな場面を抜き出して、味わっております。
摩利が少年から青年へ、大人の男性へと、顔つきや表情、体つきもだんだんと変化していくのが見て取れて、木原先生の画力は凄いです。
そして、今一番共感しているのが、夢殿が紫乃の葬式後に摩利と会って語った「所詮俺は俺だ、他の生き方など出来ないからな」というセリフ。
まりしんの登場人物だけでなく、わたくしを含め現実に生きる誰もが、自分の生き方しかできないせいで問題や悩みにぶつかる…
うまく立ち回れないことで落ち込んだりするけれど、上手下手の範疇の事なら上手になっていけばいいだけ。やり方や方向性が分かっていても、気に沿わず出来ないとしてら、それは譲れない自分の現れで、そこを曲げたら自分の深いところが痛むだけ。
勝間和代さんが『ひとは失敗からしか学べない』と言っておりましたが、その通りだと思います。自分の血肉になっていくのは、痛い思いをして考えた時が一番のように思います。
最近、お馴染みのお客様が貸してくれた漫画「ミステリと言う勿れ」の中で「自分にとっての困難を越えるために、努力したり失敗して試行錯誤したり、本来時間がうんと掛かるものが、小説や漫画では時間が経過した表現で省略し、過程を省く。その過程をどうしたらいいのか、みんなその超え方を知りたいのにね(意訳」とありました。
ああそうか、摩利と慎吾は、若い2人が若さゆえの唯一無二の困難に行き当たり、自分一人で完結しない問題だから尾を引くし、一度決めたつもりでも揺り戻っては悩みを、じっくり読ませてくれた作品だったのだな、と思い至りました。
随分長く摩利に同調していたら疲れてしまい、最近は時折「うじうじと全くもう、、、」と呆れるところまで変化したわたくしの気持ちですが、そのぐらい、漫画にしては過程を省かず見せてくれたのだと思います(他人の悩みは結局他人事とも言える。同情も期限付きというか。
誰もが割り切れぬ思いに胸を焦がす中から立ち直り、光明を見つけて、何とか生き長らえていくのが人生。誰にも解決は出来ず、心を決めるのは自分しかいないのだと、摩利と慎吾は見せてくれたのだと思います。
ちょっと今のご時世だと時間掛かり過ぎてこんな作品は受けないかもしれないなとふと思ったり…私はいい時代に生まれ育ったなと思います(多分今ならポリコレでアウトな内容もあるし…
---------
最近ググって見つけた木原敏江ファンサイト「あーらDOZIさま!」
読者からの質問に木原先生が答えていて、私も気になっていた『摩利とヴォーフォール公の関係』について書かれているのを見つけ、にやりとしてしまいました。
結婚して跡継ぎを作れとせっついている恩音は、仕事のパートナーの公が、息子を男遊びの相手にし続ける公の事をどう思っていたかとか、ささめと再会して乱行を止めたはずの摩利が、公と関係を続けるのてどうなの?という問いに木原先生は「う~ん?うん?」とごにょごにょしてるのが面白かったです。
ここは木原先生も新たなキャラを作っても話の流れ的に難しく、夢殿は日本で活動してもらわないといけないしで、公しかいなかったんでしょうね。公の男色趣味を満足させるためではなく、摩利の男しか愛せないところを、結婚しなくちゃいけなくても女をそこまで愛せないところを描きたくて、公との肉体関係は時々に挟みたくなっちゃったんでしょうな。すると、ご乱行期を抜けたなら、誰にでも抱かれることはあり得ないし、いきなり新キャラ登場でそのキャラと摩利の関係性を描くとしてもそこまで新キャラは後ひく関係では困るとなれば、描くほどでもないし、見渡すと公がいた、ってところでしょうか。
恩音だってマレーネ一筋と言いながら女遊びはずっとだったろうし。まりしんの世界では、心と体は別物設定も生きている(笑)体の関係は相手を満足させるギブアンドテイクの意図や、仲間同士だよねの確認だったり、愛以外の意味もある設定ということで、私の中では折り合い済み。
これで、一旦摩利と慎吾の感想は頭から外れそうです。良かった。
2か月ほど心を独占し続けた物語ですが、ようやく少し離して見る事が出来そうです。苦しかった。素晴らしかった。
コメントをお書きください