営業中はSNSやるのも仕事のうちなので、Twitterのタイムラインをながめては、たまに内容が酷いつぶやきや、表現が酷いつぶやきに、目が留まります。
最近分かりやすいのは安倍首相。
投稿者のほとんどは、個人的なお付き合いもしたことがないから、本当は知らない人。メディアで見聞きした内容から、納得できないと判断して、知らない安倍氏を誹謗中傷。または、賛意を感じて応援。
どちらのベクトルも、誰かの投稿を見ては同調意見を発信し、雪だるま方式で盛り上がる。
私は、人が熱烈に盛り上がっている様子を見ると、急に気持ちが覚めるというか、他人事として距離を取ってしまう心の癖がありまして、これを「天邪鬼」と言われたりします(笑
その天邪鬼の私の目から見ると、
推してる方/反対している方、この方達は安倍氏を正しく理解しているのかな?と問えば、それぞれの方の心の中の安倍氏と対話しているだけに見えてくるのです。
噂話と一緒に見えちゃう。
すると一緒にお祭り騒ぎする気が失せ、傍観はいちべつで十分で、好きな相手の妄想を追っかけるならいざ知らず、それこそ匿名で誰か分からない方達の応酬は雑音に見えてきて、、、、苦笑
ところで、
誹謗中傷側の発言に同調している方の中に、
「私が言いたいことを代弁してくれてありがとう!」
「よくぞ言ってくれた!」と反応している人がいますが、
その罵詈雑言に賛意を示すことって、あなたの品位を落としてやしませんか?とつい思ってしまうのです。
①誰かの発言、発信に乗っかって、
自分が発信元ではない事に安心していませんか?
②その言葉、リアルな人間関係で、
あなたの家族、友人、知人、同僚にも
直接言える言葉ですか?
私は、自分では、SNSで投稿する時には、
①②は気を付けております。
特に②
だって、心の中で思う内容と、
公言していい内容は大概違うもんですよ。
だから、
言わざるを得ない時には、言い方(表現)を変えるテクニックが必要。
言われた時も意図を汲むテクニックが必要。
私が過ごした昭和の頃は、社会人や大人に求められたものなんです。
バリエーションが豊富な方、機転がきく方を頭がいいなんて言ってほめそやしたものです。
だから、喋る事や書く事は難しいし、「弁が立つ」「筆が立つ」なんて慣用句もありました。
今はそうでもないのかな…だとしたら寂しいかも。
正直、
コミュニケーション能力を求められているのは、現代だって同じだと思います。
現代の方が、ちょっと自分と違うだけでネガティブ反応を示す人やアレルギー反応を示す人が増えている感じがしますから、私の過ごした若い頃よりも、コミュニケーション能力のレベルの高さを求められている気がします。
自分の言葉として出てこない内容なら、ちょっと思考や考察が足りないのだと立ち止まり、他者に流されない事も大事。近いと同じは似て非なることもありますからね。
広告代理店出身の知人が、ひと頃は自己アピールや発言、発信がいかにスマートに出来るかをもてはやしていたけれども、最近の炎上事情を見ていると、ひと回りして「沈黙は金」のトレンドがやってきているかもねと書いていたのが印象的。
言いたいことは言えばいいけれど、タイミングと言い方、大事です。
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