久し振りに、頭の中を占拠される曲に出会いました。
YOASOBI「夜に駆ける」
途中までは何とも思わず聞いていましたが、歌詞を聞き進むうちに、段々と異常さに気付き引き込まれた、みたいな。
歌っているikuraさんの歌は、さらっと歌っているように聞こえるけれども、間の取り方や音のいなし方転がし方、端々に巧さが聞き取れて、凄い方だなと感心。
繰り返し聞き入って耳が音を覚えていくのと一緒に、自分ではこんな風には歌えないと「分かる」から、好きなのに絶望も深まる歌。
原曲はこちらのアップテンポ
絶望しながら聞くのを止められない、イヤーワーム真っ最中の私。
土曜の夜は、YouTubeでこの曲をカバーしている方を漁って見続けて徹夜→眠気に負けて日曜は臨時休業!(子供か!
でもどこかで、これでいいと思っておりました。止める気なんて無かった。
というのも、
今年はずっとコロナに心や思考のリソースを取られ続けて、こんな風に好きな何かに没頭することが無かったもので、何かを取り戻せた感覚ありでした。
で、いろんな方の「歌ってみた」動画見ましたが、難しい曲だから、喉だけで声張って歌ってるのが見える方が多かった印象。私と同じく、歌いながらも、彼ら彼女らも「ここが全然歌えてない」と絶望していたのではなかろうかと想像。
原曲の良さを何とか咀嚼して歌おうとするも、それで自分の良さを活かせない場合は、切ないことこの上ないではありませんか。職業歌手の人だったら、自分の声、歌い方にあった曲を見つけた人、作ってもらった人、作れた人、それってとっても幸せな事なんだろうなと思いながら聞いておりました。
うちの父は津軽民謡の歌手です。
民謡は、決まったメロディーラインを、決まった歌詞の曲を歌う世界なのですが、歌い手ごとで必ず持ち味、違いがあり、そこが分かるようになると俄然楽しい世界。
どれもいいという前提で誰かの歌を聞く父は、いつも楽しそうで、「この人のここがいい」という時の笑顔が最高なのです。
自分と同じ事を出来るを良しとするだけの人なら、自分と違う音は全部ダメ音になってしまう。それじゃあ世の中は、自分以外の存在分、騒音だらけになりますね。でも父は、自分には出来ない事もあると理解しているし、自分に出来ない音を奏でる人を尊敬してる。愛してる。だから、いい笑顔で「どの歌もいい」と言えるんだろうなと思うようになりました。
自分と違う他人は、正直受け入れ難い事の方が多いですよ。
でも自分には出来ない事を受け止め、それが出来る相手を尊重出来たら、
自分が、自分と違ういろんなものを受け入れられるようになったら、世界が広がるのだと思います。
ところで、広がる世界を前に。
若い時は、自分の可能性を疑いつつ信じつつで、自分が凄い人になろうと努力するものですが、ある時に「なれないな」と気づく。夢を追いかけ手にする方の方が少ないと言われますが、そうかもしれませんね。
でも、努力した分、誰かの凄いところを見つける力が向上する気がします。
見つけた時の感動も、爆発的になる気がします。
もしかすると、他者の良さを理解するのが進化の本質じゃなかろうかとさえ思えてきたりして。
たくさんの方の「歌ってみた」動画をみながら、広がる世界に思いを馳せた夜でした。
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