例年ならば、春の陽気に浮かれて、気分明るく迎えるエイプリルフール。今年はコロナのせいで、重苦しい空気。何だか、うかつにウソをついたら、デマと責められやしないかビクビク。つまり、私の気持ちも萎縮気味。
感染するかもしれない。
いつこの緊縮状態が終わるんだろうか。
自分では解決できない事柄ゆえに『考えても仕方なし!手洗い気をつけて普段通りで!』と過ごしてきたつもり。
つもりなんですが、心はちゃんと疲れていたようで、昨日と今日の休店日、どこへも出かける気になれず、家でひたすら眠っておりました。こういう眠気は鬱っぽさを薄めるための睡眠欲なので、嫌になるまで寝るのが私には吉。
時々目覚めて、エイプリルフールの楽しいウソは何がいいかなと思いながら、寝落ち。何一つ、気の利いたウソが思いつかないまま、4/1の夕方ナウ。
でもその代わり、今まで出会った『優しいウソ』の数々を思い出しては「ありがとう」と心の中で相手を思っておりました。今はもう道が違って会わなくなった方ばかり。
私の周りは善良な方が多くて、悪意のあるウソを疲れて煮えたぎる怒りを経験した記憶はありません。大概は、ストレートに伝えたら傷つけるので、遠回りな言い方にウソが混ざっていた感じ。
後で本当を知った時に、私は結局傷ついてしまうのですが、最中を過ぎて知ることになる方が多いので、衝動は薄まります。若い時は、そこに悲しさと怒りしか浮かばなかったけれど、調和を思って、優しさゆえにウソを混ぜたと分かるので、感謝できる。
そう言えば、大人になればなるほど、私は他人にウソをつかなくなりました。
若い時のウソは、自分の立場を悪くしたくないとか、自分を守りたいがためのウソが多かったな・・・
知っていても、知らないと言った方が良いと思えたら「知らない」と言う、そんな感じ。
別の誰かが「佐藤さんも知ってたはず」といつかバレ、互いの感情がこじれたりすれば『ウソは帳尻合わせが面倒』と痛感し、ウソが減って今に至る。
そして、今の私が日々垂れ流しているウソは、ウソというより『分かりやすいデタラメ』
イメージとしては『フーテンの寅さんが言いそうなレベル』を目指しております(笑
誰も不幸にならない(最高だ
そう言えば、当店の店頭でも、たまによその親子の優しいウソを見かける時があります。幼稚園ぐらいの子が多いんですが「これね、ママに凄く似合うと思うから」「これきっとパパが欲しいと思うからこれを買って帰ろうよ」手に持っているものは、本当は自分が興味を引かれているものなんですが、言い方!www
このセンス、すごい才能感じますよね。
子供って、天才だ(笑
明るくてデタラメな店を目指して、明日からまたお店番楽しもうと思います。
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