最適解

出勤前は、You Tubeの動画が、音楽代わりなわたくし。

本日は、ある動画の次に自動再生で流れてきた番組に、耳目を奪われてしまいました。雑貨店を33年営まれてきた方へのインタビュー。


センスの良し悪しが仕事に直結する業界で働いてきた経験から、わたしならもっとこうするのに→私がやればもっといい店になるはずと思い描いて始めてみたところ、人が来ないし、買ってもらえない。

こんなはずじゃなかったのに、さてどうしよう、となったという下りが、私も全くそうだったから、この方の話に興味がわきました。


33年続いたなら、成功者のお話か…(ふうん)と思ったのが正直なところ。

増税前後の分かりやすい売上減を見つめて、ため息ついてる最中だったため、『山あり谷ありでも最後は成功する』、そういうテンプレートの話が聞きたくて仕方ない心持ちで見入ってしまいました。

でも、聞いているうちに、

「ああこの方、別にトントン拍子で良くなった訳じゃないんだ」

 

「特別な出来事が起こって逆転ホームラン的なドラマがあった訳でもなく」

 

「何なら今も試行錯誤していているのか」

 

「その試行錯誤が楽しいから続いてきたのか」

 

と分かったら、この方が愛おしい存在に見えてしまい、何度か見直してしまいました。

お商売は、自分もお客様も商環境も変化するので、成功の法則見つかっても「その時の最適解というだけ」ってことなんだよねぇ、と再確認。辛い時はその継続が重くて投げ出したくなります。お商売だけじゃなくて、人生全般、そういうところがありますよね。

 

重さに負けて挫折すれば傷つくし、心も体も疲れるし、挫折は本当に辛い経験。
でも、そこで止めずに続けないと「うまくいく」経験も積めない訳で、50年も生きてきたら、少なくない経験をしてきているから、失敗と成功の道は二股に別れているようにイメージしがちだけど、どちらも「一本道の上のある時点」の状態でしかないんだなと思うようになりました。

 

生きているのが辛いと感じる時、辛い事から逃げたい気持ちをぎりぎりでも抑えて見つめる先に、解決策が見える可能性が大きい訳です。人生はさかのぼってやり直しは出来ない特質上、先へ生きていくしかないのですものね。選択肢はないから、たらればで後悔しても無意味というのはこのことなんですよね。

 

受け止めきれないほどなら逃げてもいいし、休んでもいい。でも結局、生きていくしかないのです。ん十年前、筋肉少女帯の大槻ケンヂさんが「踊るダメ人間」で歌ってましたが「それでも生きていかざるをえない」というセリフが、ジワッと思い出された出勤前のひと時でした。

そして、遅刻開店(わはは