ナイトミュージアム@顔真卿展

ナイトミュージアム初体験。

友達に誘われ、店を早仕舞いして東京国立博物館へ出かけました。

 

ひとり個人商店をやっていると、休店日は仕入れや打合せなどで明るい時間は潰れることが多く、公共施設の閉館は早いので、夜21時まで見られるというのはとてもありがたいなと思います。


以前にも、故宮博物館展で顔真卿の書は見たことがあります。

 

私自身は書道のたしなみも無いもので、何がどういいの悪いの、判断が出来ませんから、絵を眺めるような感覚で書を眺めた訳ですが、当時、思いがけず「何て美しい文字なんだろう」と驚いた記憶。

 

無知無教養なわたくしにでも分かる、絶対美があると思いました。

 

顔真卿展と銘打っておりますが、顔真卿の時代の前後の資料が盛りだくさんで、顔真卿以外の書、例えば草書の流れるような美しさにため息をついたり、見応えある展示でした。

 

個人的に面白く感じたのは、顔真卿の若い頃~晩年の文字の変化。文字が老成していき、味わいが増すのが分かりました。

改めて漢字はすごい発明だと思います。

 

私達2019年の日本人が見ても「愛」は「愛」と読めるし、分かる。伝えられて、使われ続けた事にも改めて思いをはせてみた。形としての美と、意味の美、文章としての流れの美。昔の物書きの才能は桁違いだったのだろうなと思います。

 

想像するとびっくりだったのが、髪の毛ほどの細さの筆で、細密線描で王羲之の書を模倣したものがあり、墨の調子や筆のかすれまで描かれていて、これが線描!?と呆れるばかり。人が一気に書いた勢いや流れを感じる模倣でした。

 

完成品が普通に紙に筆で書いたとしか思えない状態の資料なので、ふ~んと見過ごしてしまいそうですが、私は「これをどうやって作ったのか」常に気になる製作工程オタク。パッと見はただの文字だけど、その裏を考えた時に、その線描模倣の職人の技が計り知れなくて、ゾクッとしました。あれは、学芸員解説があればもっと良かったなと思います。

 

 

玄宗皇帝の書、嵯峨天皇の書など偉い人の書も展示されており、こなれた筆致。ああ、教科書や歴史本で見知っただけの方ですが、生きていたのだなと、感慨深く感じたりして。こんな文字を書く方は、どんな性格だったのだろか、そんな事も気になります。研究されている方は、そんなところからも読み解くのだろうか、なんて。

 

昔のドラマだと「普段丁寧な字を書く人なのに、この手紙は走り書きだ、よっぽど慌てるような事が起こっていたのかも。」なんてセリフがあったものです。今はメールだからフォント頼りですから、手書きの文字に現れる人柄や思いを汲むことを訓練しておりませんものね。

 

ふと、飛行機事故で最後の言葉を書いた手帳、または、残されたメモ発見を妄想。あの人の欠片が文字に宿ってる気がする→何かベタな設定だけど、結構泣けるなーなんて思ったりして(センチメンタル妄想)

 

「祭姪文稿」は行列が凄くてスルー。縁があれば、目にする日もあるでしょう。ベルトコンベア式に単に眺めるのは本意ではないので、後悔なし。

 

ナイトミュージアム、混んでいても、来場者が物見遊山系少なく、ゆったりした雰囲気で鑑賞出来ましたから、良かったと思います。他の美術館も、やっているところを見つけて、見に行ってみたいなと思いました。

(画像の半券、ポケットに突っ込んでいたからシワシワ)