夫のちんぽが入らない

1/16、17と久し振りに連休。

本当は、足を運ばないとインプット出来ない情報を求めて、外へ出掛ける時間にした方がいいと分かっているのだけど、冬だし、気が乗らないのでそれも止め。

 

頭の中を空っぽにして、自分を甘やかす休日に。

 

読み直したかった長編と、人から借りた小説達。

昼夜関係なく読み耽る。眠くなったらごろ寝。

 

長編は、自分が読んだ後に、レビューで「続編まで読んで欲しい」というのを見かけて、改めて続編が入っている上下巻を書い直した本。こちらは、続編まで読んで余計に号泣したし、言葉に出来ない気持ちを抱えることになりました。後日ブログに書こうと思います。

 

その他にも数冊読んだのですが、中でも、「面白いから貸してあげる」と貸してもらった私小説『夫のちんぽが入らない』が凄くモヤっとする内容で、居心地悪くて印象的でした。

 

タイトルは、一時話題になっていたので知っておりましたが、読みたい気は起きないタイトルなので、素通りしておりました。予想していた内容と違って、淡々と『ひどい話』で、引き込まれ一気読み。

 

私小説は、もともとあまり好きではないので、一気に読めたことはこの方の文章のちから。そして、私にも、この主人公のように、息をするのも苦しいぐらい生き辛かった時間が、どんな年齢の時だってあったこと、それも、随分あったことを思い出して涙。

何で忘れちゃっていたんだろうか。

でも思い出しても当時のような苦しさも無い。まあ、終わってるし、継続していないから当然か。 

 

物語は、経験値が低い大学生の頃からスタート。

何だかいちいち仄暗い表現で自分とその周りを見ている印象。

 

ちっとも花が無くて、世の中はそんなに都合よくないと現実をよくご存知で、いい事を表現しても仄暗いし、悪い事だとほの暗さ倍増でシニカルで、読んでいてしんどい。解決もできないまま次がやってくる。死んでしまおうと浮かぶような描写もありながら、主人公は試行錯誤したり、時に諦め、辛さとの対峙を一旦休んだりしながら生きていく。

 

気が晴れるような事やいい事なんて、空から降ってくることは無い。

他の誰かがどうにかしてくれることも無い。

自分がどうにかするしかないんだけど、出来ることは自分の頭と心の中だけ。

だから溢れるほど悩み苦しんでも、解決することは出来ない。

でも囚われて考える。

 

私の20代30代の悩み方とそっくり。

 

そして、時間の経過で自分も周りも変化して、永遠に続くかと思っていた苦しみが、慣れも出るのか、何か変わってきた兆しを見つけ、でも急にスイッチは切り替わらないから仄暗いまま時を過ごし、生きていく。それがまた、しんどい。カラッと晴れて欲しいのに、ずっと片隅にあり続ける。

 

50代になった私は、6歳頃からこっち、押しつぶされる苦しさを少なくとも40年間味わってきたベテランとなって今、生きることは辛さもあるが、基本は楽しい/美しい/温かい/幸せといった、キラキラした意味付けをしたがるようになりました。「しんどい」と意味付けをする自分がいたらしんどい。違う意味付けをすればそうなる。そう腑に落ちたから、そうするようになりました。

 

私がキラキラ意味づけをしたところで、私の人生は夢見る通りになることはございませんよ。分かっています。でも、そうすることで、私はどちらへ向かおうとしているのか、自分への意思表示にはなるから、嘆き儚むのをようやく50になって止めることが出来るようになりました。私は、これを「良い事」と認定しています。自分の人生の中では、実感出来る良い事だから。

 

そして、他人様は他人様で、意味付けや価値観が存在するから、私の考え方は適応不可。分かっているんだけど、主人公はどうしてこんな風なのだろうかと、消去法的な幸せルート検索が続くと、どうして?で一杯になって、別に誰も死なないし、みんな何かを抱えながら何とか社会生活を送っているというのに、最後まで読んでもモヤっとしたまま。居心地悪いし読み返す気にもなれませんが、印象が強烈でなかなか抜けてくれない。

 

私の知人で、私から見たらしんどそうな人生の方もいます。

その方達は、変な前向きさは無いし、だからといって辛さに浸ることもない。口から出る内容が、救いが無い、希望も無い。そういう人と話をすると、私ならこうするのに…ということ(例えば変化を求める努力や状況打破の反撃など)を全くしないで状況に甘んじているので、どうしてこういう生き方をするのだろうかとずっと疑問でした。

 

この物語の主人公のモノローグの中に表現される思いを読むにつれ、気づいてしまったのですが、「あれ?私だって心の中で最中に激白している内容は実はあんまり変わりが無いよ!ということは、私も本来はこんなに淀んだ人生で、傍から見たらどどめ色かもしれないんだ…」という事実。

 

ということは、知人達の人生も、私にはしんどそうに見えても、そうではないという可能性にも思いが至りました。灰色に見えていた彼ら彼女らの人生が、今の私の状況よりもうんと幸せな実情かもしれないのだと気が付きまして、結構衝撃を受けてしまいました。ほんとうに…(苦笑)

 

「人の幸せは、自分の尺度で計りきれるものじゃない」と先日思っていたくせに。

逆もまたしかりで、勝手に判断されたら不愉快じゃないか。

ああ、私ったら、でも自分のものさし当てて、判断しがちだな、気をつけよう。

 

いつか自分の意味付け着色無しで、誰かの幸せを見られるようになったら、この本の表現にも主人公のキラキラが見えてくるんだろうかと思いつつ、どこか居心地悪い読後感を持て余し中。

 

私はどこまでも自分のものさししか持てないから、自分のものさしの尺度を増やすべく人生の勉強するしかないんだろうな。(1つの縮尺しか測れない直定規→6つの縮尺で測れる三角スケールになる感じ)

 

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自分が幸せになるためには、自分のものさしがあることが大事だから、変に他人に合わせることなく、自分のものさしをまずは大事にしますけどね。