どうせなら

私の人生は「7年周期で変化する」というジンクスがあります。

 

 

7年目は「何かが終わる」「何かが変わる」節目だったことが過去に繰り返されてきたもので、いつの頃からか7年目にどうにかなることを夢見て頑張るようにもなっていたかなと思います。

 

 

開業して7年目の今年、予想していたのは物理的な変化。経年変化してきている体のことかな?と心の準備をしておりましたが、やって来たのは心の変化。

 

 

夏の盛り、毎日倒れそうに暑い日が続いていたある日。お風呂場の窓を見たら、型板ガラスの模様がキラキラ輝いていて、「こんなところにも神様がいる」そんな気がしたら、今、とてもとても幸せで満たされているなと感じました。



私が開業当初に立てた目標に、事業を通して叶えたいなと思っていた「目標」があったのですが「あれ?もしかして今、全部持っているじゃないの」と実感出来たのです。


そして、このささやかな幸せに甘んじて、冒険や変化を遠ざけていたことに気付きました。

 

 

前々からうっすら次の目標が浮かんでいたのに「そんな事、出来る訳ない」という怯えから、見て見ぬふりをしていたなと気づきました。

 

 

気付いちゃうと、おっかないことが起こるのが7年目ジンクス。

変わる、動くと決めたらまっしぐらになるのです。

 


今ある全てを急激に変えたくなるところがあって、全部切り捨てたくなる衝動がやってくるのです。リセット願望が強くなるのです。例え問題が無いことでも、むしろ上手くいっていても、何もかも、一回壊して一から組み上げ直したくなる、そんな心の癖を持っているのがわたし。

 

 

過去、この衝動に突き動かされて、2回転職しております。


辞職という形で自分が当時一番大事に思っていた仕事や人間関係を破壊・破棄してきた訳ですが、振り返ると、気が楽になったつもりだったのは、自分の人生の重さに辛くなって手を放したようなものだったなと思います。


「あの時も、今も、突き詰めれば同じことを望んで手に入らずに不満足の沼に浸っている自分」

思い通りにならないなら捨ててしまえと辞職。ほんと、ダメダメな子でした。自分の惨めさに気付かず、正当化したくて言い訳だらけで…(ああ、暗い日々を思い出して別な沼に落ちそうです、、、


そもそも、当時抱えていた大事なものなんて、捨てられる程度のものだったんだなと思います。今は、余計なものは無いし、捨てたくても捨てるものがもう無いから、やるなら部屋の掃除で断捨離するぐらいで我慢しな自分、なんて自分に言い聞かせた2週間。


新しいことを組み上げるのって、とてつもなくエネルギーがいる訳です。起業してここまで、どれだけ費やしてきたことか。お金、時間、気力と体力。毎日、毎週、毎月、毎年、もうだめ~と挫けそうになるポイントは沢山あった。本当に、どれだけやってくるのかというぐらい、次から次へと山谷がありました。だけど、その山谷を乗り越え、更に積み上げていく熱量があったから今に至るのだもの。私は壊すのが得意なんじゃなくて、積み重ねることが得意なんだと意識を変えるべき。


そして、今日の夕方降りてきた言葉「どうせなら」のおかげで、徐々に、小康状態に移行中。

 

 

「どうせなら」には何度か救われておりまして

「神様が、ヤケを起こすなよと贈ってくれた」のかも知れません。

 

 

どうせやるなら、どうせ生きるなら。

望む方向へ進もう。

 

 

明日から爆発的に何かが変わる訳ではない。

だって私一人に出来る事しか、成し遂げられない。

だけど私がやらないと、自分を不満足の沼に浸し続けることになる。

 

 

課題はもしかすると課題ではないかもしれないし。
→おお、この発見が実は凄いかも

 

 

 

「どうせなら」のおまじない唱えて、今度は壊すことなく積み上げて行きたいなぁと、まだ片足沼の中の小康状態。