好きが増えると、悲しみや孤独は減る

三寒四温を繰り返す春。今日は春の雨。雨は涙にも例えられるお天気。

お商売柄、いろんな方の身の上話を聞く機会が多いです。

 

このところ増えてきたのが、親や旦那様を亡くされて、悲しみにくれている話。年齢的に起こりうる出来事としても、愛する人を失う悲しみは、特別なもの。

 

この方は、今いま亡くして強い悲しみにくれている。

 

ああ、この方は1年経ったけれど、まだ強い悲しみにくれている。

 

時が経てば、癒える悲しみもありますが、大事な方、心の拠り所を失う悲しみは、容易に薄れるものではないのですよね。わたくしは、人様の話を聞きながら、いつかやってくる自分の場合を想像し、心の準備をしているところがあります。

 

もしも、自分が親兄弟を亡くしたら、私は独身だし、いよいよ「天涯孤独になった」と感じたら、その時は、悲しみよりも孤独感で埋め尽くされて、涙も出ない予感がいたします。

 

「時間が薬」という言い方をしますが、人の時間は流れ方が同じではないから、1年経てばこうなって、2年経つとこうなって、なんて言えないところで、当事者も周りの方も、言葉少なでじっと過ごすしかない辛さがありますよね。

 

当店も気付いたら7年目。

そういう方の中にも、ある傾向を感じます。

 

例えば、他の家族がいる。孫がいる。

例えば、仲の良い友達や仲間がいる。

例えば、ペットと暮らしている。

例えば、仕事を持っている。

例えば、趣味がある。

 

そういう方は、「時間の薬」が短期間で済む気がいたします。

 

悲しみにくれることは、とてもエネルギーを使うことです。
人は、感受性が強い生き物。

取り巻く環境に対応しながら、老化を含めて変化していく生き物。

 

 

ずっと悲しみにくれていたくても、自分以外の人や状況に悲しみに浸る時間を邪魔される訳です。子どもや孫は、そっとしておこうなんて忖度も長くは続きませんから、浸りたくても妨害され続けることになりますよね。お仲間がいる、仕事がある、趣味がある方も、同じように他の方の存在に引っ張られます。

 

そうやって、気持ちを逸らされ、気付けば悲しみの淵から抜け出ていた、そんなイメージ。

亡くした方への愛があれば、

残っている人にも愛を感じているもの。

 

好きなものが残っていれば、自分の愛によって救われて、ちゃんと立ち直るのではないかな、と思うようになりました。

 

私の親兄弟だって、いつか亡くなることは確か。

私が先に逝くこともあるかもしれませんが、一応順番通りになることでしょう。

 

でもその時までに、たくさんの好きを作ろうと思います。

皆さんも、たくさんの好きを作りましょう。


私をこの世につなぎとめる、そんな好きは、

既にたくさんあるんだけれど、

店をやり始めてからの時間で特別増えたように思います。

春の嵐で雨風強く、
店内人類滅亡しようとも、

明日からまたがんばります~(笑