夏の遠足、ひとり旅

散文。

休店日の昨日、国立歴史民俗博物館へ。

 


雨降る空模様を眺めながら、日照時間の減少で、心も経済も閉塞するよねぇ、とひとり言。

 


雨の日の人類が滅亡する店内にいるよりも、休みだと割り切れる方が気持ちが楽なので、休みの日の雨は色んな意味でホッとする恵の雨。

 

 

佐倉までの電車は、京成を使うと早くて安い。

 

そう言えば、中国を行ったり来たりしていた頃は、改修前の日暮里駅で、階段しかないから苦労したなあ。20kg越えのスーツケース、7㎝ヒールで人混みの階段を上る。

 


日暮里乗り換えが懐かしくて、家を出る時に出来心でパスポートを持って行こうと探したところ、普段持ち歩いている一揃えの中に入っていた。

 


一昨日ブログに『店で出会う「人とモノと事」は毎日違うので、感覚的には旅をしているのと同じ』と書いたけれど、符号一致で面白いや。

 

 

京成の車窓から見える景色は緑が多くなっていく。田んぼはまだ青々。日照が足りないと、米だって美味しくならないんだよなあ、とぼんやり思う。

 

京成佐倉の駅からは徒歩。

雨は降る降る、雨は降る。早く展示が見たいので、歩く足取りが軽い。現金なからだ。 

 

「URUSHIふしぎ物語-人と漆の12000年史-」


博物館HPに書かれていましたが、『平成25年度から27年度にかけて行った、美術史学・考古学・文献史学・民俗学・植物学・分析科学など文理融合の共同研究成果を初めて発表』

見つけた時に、この企画展は「私のために神様が用意してくれたに違いない」と思いました。ほんとに、私の知りたい事がたくさん分かる展示で素晴らしかった。

 

一日では足りなくて、また行きたいような。

 

 

学芸員の方に、個別に話を聞いてみたいなと思いながら閉館の音楽に見送られ帰宅の途。

 

 

外に出て、ああそうか、ここは江古田から随分と離れた場所だったと思い出す。帰るのが、めんどくさいなあ、と思い出す。



電車を待つ駅のホームで、足の指先が欠けている尾長を見て「野生の生き物はいじらしい」と話す年上の女性ふたりの話が聞こえてくる。


人間だって、お姉さん達だって、いじらしいですよ。年を取っても、美しい笑顔で、ふたりで並んで座っていられる、それがいいなと思いますよ。

 

 

電車に乗って、空いた席に座り、疲れに任せて居眠り。そうしたいなと思って眠る居眠りは至福。佐倉という距離感がまた、ちょうど良い。

 

 

周りの他人を信じて、平和な社会を信じて身を投げだしているようだな、車中の居眠り。何も盗られず、命の危険もない。幸せだ、毎日。

 

 

最寄り駅で電車を降り、練馬の湿度の高さに嫌気がさす。歩いて帰る道々、帰ったら最初にお風呂に入ろうと思ったり、早く晴れて欲しいなと思ったり。

 

 

帰る場所があるから遠出できるんだな、なんて思ったり。