たまに、海外のお客様が来店するのですが、挨拶さえままならない自分。
だって、その先をあれこれ話し掛けられてもよく分かりませんから、相手に「通じるかも?」なんて期待を持たせるのも悪い気がして、だんまりが常。
でも、どこかでちゃんと勉強し直したいなと思っていたんですよね。
最近、知人のお店のFB投稿で「教科書を読む会」を見かけました。
学生時代は楽しさも分からずテストのために勉強してきた学科を、大人になって改めて学び直したいなという気持ちは、社会に出て仕事も覚えた年頃になると、誰もがうっすら思うことではないかなと思います。
仕事に必要があれば、セミナーや研修を受けたり、実用的な勉強を積み重ね、「学生の時に、もっと頑張っておけばよかったのにな~」なんて、仲間と笑い合った人も多いのではないでしょうか?
店主、たまに思い出したように気になるのは「日本史」「世界史」「英語」
日本史は、好きな時代を、好きなテーマから抜き出し的に読み漁るせいで、今のところは、年表的にはつながっていない情報の塊。ただ、知りたいことをストレートに調べるせいで、関連事項に手が出ていくうちに、いつか補完されて、年表がつながるのではないかと期待しております。
仕事で必要を感じ、中国語を自習した時に「語学も相性があるな」と気が付きまして、英語は「相性が合わない」と認定。興味も激減。今に至ります。
文明の利器の進歩を見ていると、スマホの翻訳アプリがあれば事足りる時代がやってきそうな予感。勉強し直したいなと思う一方で、今更いいかとも思って過ごしておりました。
最近、ある目的があって英語を学んでいる方と雑談した時に、翻訳アプリは便利ですが、言葉に込められた「感情や感性までは翻訳し切れないと思う」と言っておりました。
何だか、それを聞いたら、やっぱり「勉強し直したいな」と気持ちが動きました。
あの、たまにやって来る見知らぬ外国人の方と、ひと時でも、気持ちが通じ合えたらいいなと思ってしまったのです。
中国や韓国で、道を訪ねたら周りの人が次々と寄って来てくれて、親身に教えてくれたのを思い出します。片言でも、そうやってコミュニケーションを取ろうとしてくれたことが、彼の国の一人ひとりは愛すべき隣人と思えたし、国同士が仲が微妙になろうが、個人は仲良くしたらいいと思えました。
いつか、江古田に来た旅行者に、「ささやかな交流が出来た記憶」を持ち帰ってもらえるようになりたいものです。
近々、教えてもらった初級者用のテキストが配達されるはず。
今回は、多分挫折しないと思うのです。
何故なら、中国語がある程度出来るようになった経験があるので、努力のツボが分かる気がしてます。
英語ではこう言う、中国語だと?という風に、中国語の復習にもなりそうです。使わないと忘れる一方ですから、これを期に、中国語も頑張ろう。
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