飾らぬ言葉、偽らぬ言葉

今どきの方は、皆さん本当に話すのが上手だなと感じます。

 

街角インタビューを受けている一般人が、もうサクラかと思えるほどしゃべりが上手。

 

 

質問に対して、期待された内容を話している人だけをピックアップして流しているとしても、私の若い頃よりも、うんと世慣れたしゃべりをする方が増えた印象です。

 


お店で雑談するお客様もしかり。

ちゃんと聞かせるように演出されていて、

最後に落ちが付いてたりすると感心しちゃいます。

 

 

私は、小さい頃は自分の話したいことをマシンガンのように話す子どもだったかなと思います。聞いている相手だってきっと面白いはず、と信じておりましたから、相手を見て話題を選ぶなんて思い浮かびもしませんでした。落ち着きの無い子どもと思われていたかと思います。

 


それが、思春期になり、他の子達が好きなアイドルや音楽がどうしても好きになれず。他の子達が騒ぐ男子のどこがそんなに素敵なのかも分からず。もしかして、私の周りに展開されている世の中というのは、私には優しくないんだと気付きました。

 


私は宇宙人か、深海魚みたいな存在なんだと自覚して、それからは「話を合わせる」「調子を合わせる」努力をしました。あまり上手ではなかったので、「心にもない」ことはバレバレで、、、、(苦笑

 


そして社会人となり、段々とプレゼン機会を重ねる内に、理詰めで説明すれば間違いが少ないと思うようになり、「AだからB」という文法で埋め尽くされるようになります。

 

 

振り返ると、記憶がほとんど無いので、

そのぐらい心にもないことばかりを話していたんでしょうね。


きっと、その当時の私の言葉を聞いていた人達にも、

何一つ残っていないと思います。

だって、今お付き合いが続いているのは、

「どうしても、無いことに出来なかった本音」を

ぶつけた相手だけですから。

 

 

無いことに出来ない本音って、

理詰めで説明できない衝動成分があって、

何とも整理されていないものなのですよね。

だけど、強さはある。

 

子どもが駄々をこねているところを想像してみて下さい。

嫌なものは嫌!ストレート。

ギャン泣きしてでも嫌だと伝え続ける。

 

 

それを「私は別にいいんだけど、Aさんが嫌かもしれないから止めておかない?」みたいな、もたもたしたものを付け加えて話すと、「じゃあAさんには声かけないで二人でいかがですか?」なんてブーメランが返って来てあたふたし、後日「その日は親戚の法事があって残念だけど行けません」「じゃあ、翌週はどうですか?」「!(はわわ~どうしよ)」なんてウソを積み重ねてみたりと、もたもたがどんどん膨らむ感じ、皆さんご存知ですよね?

 

コミュニケーションを複雑化しているのは、

このもたもたした飾り部分のような気がいたします。

本音を見えにくくしてしまう余計なもの。

 

 

ということで、只今、

「浮かんだまま、言葉を飾らず表現する運動」を

ひとり開催中。

 

 

やってみると難しくて、言葉がつかえたりします。

語順を考えてかんでしまうのです。

頭の中で編集して喋っている証拠。

 

 

スラスラと思いが口をついて出るようになれば

変な編集も無し、編集する労力も省けるしで

相手にも本音がガンガン伝わることでありましょう。

 

 

いいことも、悪いことも、ガンガン伝わることになるのでしょうね。

そして、公私共に、生きるのがもっと楽になるはず。