ホ・オポノポノ

今年、50になります。

そんな年でも、人生に惑うことは起こるもので、人間て、いくつになっても悩み事から解放されないものなんだなと思います。

 

不思議なことに、そんな気持ちで営業していると、惑っているお客様がやってきて、惑っている話を聞く機会が激増。

私の生きている江古田時間は、シンクロ多め。みんな、悩んでるなーと思えば、私だけじゃないのだから、頑張ろうと思ってみたり。

良くても悪くても、誰かしらが、糧になってくれる日々。ああ、江古田大好き。

 

と思いつつ、自分が抱えている懸案はわたくし固有のものであり、私が決めるしかない事柄。「今すぐどうしたらいいか分からない」がために、モヤモヤとしております。

 

こういう時、Aの結果もBの結果も両方手に入れば、どんなにワンダフルか…と妄想。

欲張りなわたくし。

 

現実逃避なのかもしれませんが、そういう気持ちになると、「ホ・オポノポノ」を思い出して、自分の中にある、問題の原因となる「記憶」を消し去るための言葉を唱えるひと時。「ごめんなさい、許してください、ありがとう、愛しています」4つの単語は、消しゴム機能だけで、意味を置く必要は無いし、意味を込めて唱える必要もないそうです。もっというと、消す機能を持たせられるなら、好きなイメージでもいいのだとか。

 

お客様に、こういうスピリチュアル系のお仕事をされている方が何人かいらっしゃいますが、名前が違っても、本質的にはホ・オポノポノと同じことで、クライアントをヒーリングしているのに気がついたら、なら、私は自分ひとりで出来るホ・オポノポノをやってみようかなと思った次第。

 

私達は潜在意識でつながっているから、自分を癒やせば他人が癒えるという理屈。

詳しく知りたい方は、私が持っている薄い本を貸し出しますから、お声がけ下さい。

不思議な話ですが、量子力学の世界にも通じるような、無いとは言い切れない話。

なると信じれば、なるような、まさに量子力学。

 

私の持っている薄い本に書いてあった事例で、自分の中の「問題の記憶」を消す過程で、母を癒やした方の話が出ているのですが、母の積み重ねてきた苦労の記憶や、辛さ、寂しさが、自分の中に浮かんで来て、泣けて泣けて仕方ない瞬間がやってきたのだとか。後日、母親の頑ななところが解け、母自身の人生を楽しむように変化し始めたという話でした。

最近、あちらこちらで「引き寄せの法則」という言葉を目にしますが、
人は自分の人生を自分で作っているので、自分で引き寄せられるという発想法。

 

あるコーチング動画で説明していた内容が分かりやすかったのですが、
「今日は肉を食べよう」と思う(未来を決める)→肉を食べる(そこへ向かって行動する)。

私達の時間は、長い道に例えられるせいか、過去から現在に続き、未来へと直線的に流れていくイメージが根付いておりますが、この理屈からすると、時間は未来から現在へと向かっていることになります。かつ、認識する内容が曖昧だと、牛肉、豚肉、鶏肉、鶏なら手羽なのかもも肉なのか、料理方法に味付けはどうするのか、完成に至れない。未来記憶を具体的に思い描くことがとても大事。

 

そして、具体的に思い描く時に、「問題の記憶」がチラつくと、無意識にそちらへと向かってしまう。この問題の記憶は、わたくしの人生の事でも、他者の記憶に影響を受ける。私達は、潜在意識でつながっているから。

他人は自分の鏡といいますし、難しいことは考えずとも、今ある問題の原因が、自分以外にあるとすれば、自分だけでは解決出来ない可能性が大きいので、自分の中に全てあるとして、自分で解決できると信じる方が精神衛生上いいよなと思えるので、雑音的思考を止めるためにも「ホ・オポノポノ」

 

かれこれ2週間ほど続けておりますが、昨日「そうか!そういうことなんだ!」と思い浮かんだことがあり、そのことが結構衝撃的に大きなことだったもので、分かっただけで心が軽くなりました。これが、ホ・オポノポノの事例の方のように、事態の変化を起こすための一歩となってくれるといいな、、、

って、ホ・オポノポノなんて言葉を書いている時点で、凄いリアリティ無い感じで、現実逃避を思い浮かべてしまう自分もおります。ああ、しかし、そういうネガティブ思考がダメ未来を引き寄せるんじゃないか、と雑念をはらう事が一番大事だなと、近頃とみに思うようになりました。年をとるほどに、経験の量が増える分、仮定提示される雑念量が増えるワカメ状態のような気がしてきました。

年をとる弊害は、こういうところかも知れませんね。

 

 

ところで。

認識は本当に大事。

失敗するかも、という不安を持つと、失敗しちゃう、みたいな。

認識は、本当に大事。

 

最近知り合った方と、時間認識について面白い話になりました。

先程の「人生は道」「過去から未来へ流れる」に関わるのですが、自然界は四季を繰り返すだけで、円をぐるぐる周り繰り返し、元の場所に戻る時間間隔。人間は、直線的な流れを想定して生きているが、自然の時間とのギャップが凄い訳です。だから生き辛い。

観念として、なるほど~と思える話で、この時間認識で生きてみるとどうなるんだろうかと興味があります。