前回、現実を把握する際に過去記憶との辻褄が大事らしいが、辻褄合致判定は結構いい加減だから、人は騙されちゃう、みたいなことを書きました。
書いてみたものの、本当に言いたいことは違うんじゃなかろうかと、もやもやを抱えておりました。
辻褄が合わないというのは、何と辻褄が合っていないのか。
つきつめると、過去記憶などよりも「願望や欲する状態と違う」時に、辻褄があっていない苦しさを感じていることが多いのではないでしょうか。
こういう「辻褄が合わない」は自分の中で完結出来る世界なら、合わない辻褄を合わせにいけるからいいけれど、自分以外の登場人物が多い世界だと、思い通りに他人が動いてくれるだけという状態は想像し難く、常に辻褄が合わない不満を抱えそう。
合わない辻褄の合わせ方なんて無い。
合わないなら、合わせに行かない。
叶わぬ夢とか思い浮かべると、辛い、悲しい、悔しいみたいな
ネガティブな気持ちがくっついてくるかもしれませんね。
でも、叶う訳のないものを、追い続ける徒労で疲れ果て
余裕がなくなるなら、追うのを止めた方がいいと思います。
でも、諦める必要は、無いのよね(黒笑 ウフフフ
たどるルートを変えるとか、そっちの方向性はどうかしら?
と浮かんだところで、スッキリしました。
チャレンジするということは、
ルート変更や方法変更、下手すりゃ様子見しながら
目的地自体の変更だってありですよね。
行ける、行けないの2次元・平面的判断以外に
上に行けそう、下に潜れる?と言った3次元・立体的判断を
覚えたいものです。
次元を越える。何だか、壮大(フフフ
だけど、この言葉が浮かんだら、スッキリ出来ました!
そうそう、私には今、越えたい現実があります!
越えられないかも…と未経験だから不安もあります!
越えると思ってチャレンジし続けた先にしか、
越えられたという喜びも無いのだから、越えたいな!越えますよ!
毎日、同じようで新しい時間。
毎日チャレンジしているのと何の違いがありましょうや。
大きなことをなすことばかりがチャレンジではないぞ、と。
毎日チャレンジしているぞ、と。
みんな、がんばっているぞ、と。
私だけじゃないぞ、と。
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