映画「くちづけ」

お友達のお店、小竹向原駅前の音楽喫茶「アカシア」。隔月で小竹界隈に住む人達の交流会を開催しております。会費620円で飲食持ち込みOK、みんなで持ち寄ったりしながら、雑多な会話を楽しむ会。

そこで先日知り合った「谷川功」さんは俳優とのこと。若い方なのですが、ひと時、とても気持ちいい会話が出来たので、彼が出演している映画と聞いて見てみることに。

知的障害者がいる家族のお話。
末期がんで時間が無い親が、知的障害者の娘の行く末を案じて殺してしまったという実話に基づいたお話。

谷川功さんは、知的障害者のグループホームの同居者。アカシアでビールを飲みながら話していた姿とのギャップに、さすが俳優!化ける!と見入ってしまいました。

泣かせようという演出は少ないので、淡々と見られましたが、やはり最後は涙。私は、親の気持ちに立って、自分のこともかぶせて、涙。

娘の首を絞めて殺す親心は、そこにいたるまで「オレが居なくなったら、この子はどうなるんだろう?」と不安で一杯。不安を囲っている時は、悪い未来しか見えないもので、入ってくる悪い情報にも心が揺れる。

些細なことから坂道を転がり落ちるように状況が悪くなり、抜け出せなくて追い詰められる感覚は、生きていれば誰しも味わったことがあるはず。ああいう時は、何故か自分は底へ底へと進んでしまうのですよね。

リアリティがどうのと感想を書いている方がいらっしゃいましたが、私は想像力というか、変換力で見ていたので、自分がいつかなるであろう「独居老人の不安」、「介護が必要な家族の不安」なんかにも置き換えられ、もっと広げて、一人で何とかしなくてはいけない、誰も助けてくれない社会の閉鎖的生きにくさとか、いろいろ象徴されているようで、ムネアツ。見終わって少し考え込む感じの映画でした。

健常者だって、何かあった時に100%頼らせてくれる相手がいることは稀です。親兄弟だって、それぞれの事情があれば、面倒をみてあげたくてもみられないのはざらです。いわんや、他人をや。

行政にそこを望むのも分かりますが、自分が出来ない事を他人に解決してもらおうという点では、身内が出来る以上のことが出来る訳もないと覚悟しておいた方がいいかなと私は思っています。

お金で他人を動かしてやってもらうといっても、他人も人だから、心が動かないと続かない。金を払っているのだから、という方がいますが、それも、相手の満足する金を払っているなら声を大にして言ってもいいかなと思いますが、相手が満足していない額を払って、全部やるのが責任だと押しかぶせるのは、理性的には受け止めがたい話じゃなかろうかと、お商売やってる人の立場で、考えたことがあります。


私の思う解決策は、もっと周りの方とのおつきあいを大事にすること。
10%、いや、下手したら1%の助けを積み重ねて100にするぐらいのつもりで、周りの方と調和して暮らすこと、周りの人とちゃんと生身で関わることが、ヒントじゃなかろうかと思っております。

そして、人から1%でも助けをもらうには、自分も相手にとって必要な助けを、相手が必要とする時に差し伸べられるか、そういうマインドでいられるか。

難しく考えることはないと思うのです。
相手に興味を持ち、仲良くなれば、自然と「そのぐらいなら私がやってあげる」と自然と言えますから。

 

「そんな相手なんて、どうやって見つけたらいいの?今の私の周りには、そんな人はいないもの、、、」という方は、ぜひ、小竹向原駅前の音楽喫茶「アカシア」の交流会に足を運んでみて下さい。