信頼の正体とは

早朝、携帯メールの着信音で目が覚めた、わたくし。
見れば、何ともネガティブな空気漂うメール。

 

放置して二度寝も浮かんだものの、返信。
何となく、内容は何でもいいから、返信することが大事なんだと思ったから。

「信頼関係を築けない」と落ち込む文面を見て書いた返信内容。

我ながら深い意味を見出してしまったので、備忘録代わりにここに書きます。

「実は、自分が相手を信じる事が、信頼関係の正体だと思う。

 

相手から何かをもらう訳ではなくて、自分が信じているから、相手の言動を受け入れられる。

 

誰も、私を幸せにはしてくれないし、親兄弟だって、実は私が思うような人ではないのかもしれない。

 

だけど、私は相手を信じているから、相手は信じるに足る人として私には映る。だから信頼する、それだけ。

 

私だって、孤独で救いのない人生を歩んでいるのかもしれないよ。

でも、親兄弟や友達、周りの人達を、私は信じている。信頼しているから、安心して過ごせる。何かあっても、帰る場所があると、安心していられる。」

信じる気持ち、信仰は、誰でも何かしら心の中にあるはず。

(宗教に結び付けず、考えて欲しい)
誰も認めなくとも、私は大事だと思う「その自分の気持ち」を信じることは、ほんとに大事なことなんじゃなかろうか。

そんな特別なもの、私には無いもの!と言うことなかれ。
深刻な思いしか価値が無いと思うことなかれ。
些末な内容で、取り立てて凄くもないと思うことなかれ。

自分にとっての真実なら、全部大事でいいじゃないの。と思うわたくし。

自分に厳しい人、辛いよね。と思った朝の出来事。