月夜の散歩

本当の月齢は5.7。半月には至らない、欠けた月。

眠いのか、よく分からなくて、何となく夜の散歩。

コンビニで、甘い缶チューハイでも買ってこようかと、夜の散歩。

私が住み暮らしてきた街で、異質だったのは筑波。
縦と横、グリッド状の道路。恩師の都市計画+学園都市。
メインの幹線道路が太くてまっすぐな直線道路で、

田んぼや野っ原が続く景色で、人気の無いことこの上なしでした。
田舎でよく見た田んぼの直線道路は、同じ真っ直ぐでも、

あそこまで無機質ではなかったなと思います。

 

そんな中で暮らしていると、見上げる月がとにかく明るかったです。

恐ろしいほどに静かで、大きくて、明るかった。
飛べたらいいのに、とよく妄想しておりました。

今夜も、何となく見上げて歩く道。


23区ですが、まっすぐな区画でもないので、曲がる場所を間違うと、ちょっと遠回りになることもあります。そこが、人間的な感じがして、住んでいる街への愛着につながっております。

ふと、思い浮かんできたのが意味深な言葉だったので、備忘録代わりに。

人は、目的地へ最短コースでショートカットしたがるんだけど、そんな人は山程いて、物理的な最短コースでも、渋滞により最悪コースになったりする。

回り道した方が、空いてて、景色を楽しめて、発見も多くて、お得なこともあるけれど、本当にお得なのか見えないと、回り道はリスクに見えて、選べない人も多い。

若いほど、先を焦ることがある。

年を取っても、終わったことに満足していないと、振り返っては焦って先を急ぐ。

周りを見て、幸せそうなら、一緒な方向を見て進めばいいのだけれど、そうでもなさそうなら、そこから降りて別なルートを歩いてみると、呼吸が楽になると思いますよ。

って、そんな言葉が浮かんで来ました。

急がばまわれ。
譲りあう精神。

 

心の余裕が大事だなと思った夜の散歩。