そうそうに

元日営業、という名の棚卸デーを終え、1/2(土)の本日は寝坊をし、起きたら洗濯など家事をやっつけ、年賀状をやっつける日。明日から実家へ帰省するので、出来るだけ身軽になりたいのに筆は進まず。

儀礼的に書いているからなんですよね。
前から思っていたのですが、通信手段が文に限られていた頃の習慣ですから、文化は変化するものですし、今なりの手段や速度で代替してよいはずなのになと、本音では思っております。だから、義務感で書いている相手に対しては、筆が進まないということかなと分析。

途中、知人から、正月早々営業した私に、きっと何も用意できていないだろうからと、ミニお節の差し入れの申し出がありまして、ありがたく受け取り、おいしくいただきまして、お腹が満たされると増々やる気減退で、苦笑。

くしくも、ハガキ印刷をミスり、使えない枚数が3分の1。これ幸いと、諦めました。

出したい相手の分は書いてしまったし、もういい。

方法にこだわるとか、何かに固執して心進まぬことを努力することを止める事を決意。

 

会いたい人には会いに行けばいいし、
何かを伝えたいなら、携帯電話でもSNSでも、
気持ちの赴くまま伝えたらいいと思います。

言い訳チックですが、差し支えない範囲でどんどん楽になっていけるのがオバチャン。年をとることは、他人が踏み込めない自分、他人が黙認する対象となれれば(こいつは仕方ないと思わせる、とも言う

自由も手に入れることになります。年をとるのも、なかなかいいものです。

年明け早々、不自由の皮を一枚脱いだ気分で、年賀状は見ないふり(笑

心に沿わないことは、なるたけやらないようにする1年にしようと思います。