相手との距離感に自信がないという方と話した時の雑感。
例えば、誰もが遠慮するような場面で、その方は相手に寄り添うタイプ。それを、遠慮する側の方から「空気を読まない」と言われ、傷つく。
そんなこと繰り返し体験してきたせいで、自分ではどうにも出来ない、分からないこととして人間関係が怖いものに見えてしまう。
「私は人付き合いが下手みたいで、失礼があったら、ごめんなさい」と笑顔で言われて、ズキッ。
相手の言うことが、自分にとっての真実ではない場合もあります。言われ続けた回数に負けて、自分が悪いと思っていることが、とても不自由に見えてしまって、どこかがズキズキ痛む感じ。
というのも、私も若い頃は、人の気持ちがよく分からなくて、何が悪かったのかさえ分からないけれど相手の気分を害してしまうことがあったから、思い出してしまってズキズキ。
たまたま、その場にいた別な女性が「あら、そんなこと無い無い、私もそういう時そうする」なんて言葉を投げてくれたので、私もホッとしました。
おばちゃんになって「そんなこと普通はしない」と感じる時には、自分がそうして欲しくないと思っているんだな、相手にも自分と同じように感じて欲しいと思っているんだなと、成分を分解するようになりました。
相手の側に立てば、逆のことが言えますよね。
相手だって、自分と同じように感じて欲しいと思う心があるのだから、「空気を読まない」と言われ、私はそうなのか…と引き受ける人は、自分が一歩引いてくれてるという点で、こちらを否定することなく受け入れてくれたのねと思うようになりました。
オバチャンになって感じるのが、言葉面、文字面を鵜呑みにする素直さよりも、「変換力」がある人の方が、コミュニケーション上手な気がします。都合のいい意味に変換しているとしても、それで人付き合いの苦労が減るならば、いいじゃないの、と思ってしまう。
友達のお店、練馬北口にある中華惣菜ねんの奥さんが言った言葉が名言だなと思うのですが、「それを言って、楽しい会話になるか考えたらいいのよね」言いたいだけで言う言葉は、相手とのキャッチボールにならないと自覚せよ、という変換も出来ます。
読解力と変換力、大事。大事。
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