1%のオリジナリティ

先日読んだ「日本語の技法/斉藤 孝」に、【オリジナリティは1%で十分】というような内容があり、目が留まる。

「型と日本人/武光誠」
【形無し】についての一節で、型を破るためには型を自分のものにする必要があり、昔の見て盗め的師弟関係では、理解出来なくともとにかく真似てそっくり出来るようなることが第一。

それが出来ない人には【型を破る】技術も精神性も備わっていないので、「これが自分流」と頑張っても生き残れないことが多い→【形無し】

破る元があってこその型破り。
そこに至る道が長くて遠い。そもそも、分からないまま歩いているので折に触れ不安を抱える。その間に、もの凄い回数の思考をするだろうし、心の闇も深まるだろうなと思う。

「日本語の技法/斉藤 孝」の【オリジナリティは1%で十分】には、まるでゼロからいきなり100が生まれることは不可能で、先人が作り上げてきたものに乗っかって、日本語文化は今に至る(意訳)とあり、納得。言語だけではなく、世の中全般、乗っかれる基盤があるわたくし達はなんて幸せなんだろう

【オリジナリティは1%で十分】
自分探しやオリジナリティを追求している方すべてに、贈りたい言葉になりました。1%が少ないのではないのです。1%作りあげるためにまず100を自分のものにして後、残り100のどれでもない1を生み出すことですから、超大変な事なんです。

と、自分の店について思考する日々ですが、これでいいのだと、救われた気分になっています。まだ100いってないと思っているうちは、悩むの当然。トライ・アンド・エラーのうちに、「環らしさ」が出来上がってるはず。その予定。

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店主が参加している非営利文化活動「ねりまクラフトーク」の第2回目企画の準備が進行中なのですが、次回のゲストの方に【形無し】【型破り】についても、お伺い出来たらなと思っています。