3・11

2年目を迎えました。

正直、私だって平穏な生活に慣れてきているし、被災地のことは自分の生活と別物のように思っている方も増えてきているように感じております。

 

まず、話題に出なくなりました。

私が開業した2011年11月~はまだまだ皆さんが心を痛めて注目していたし、ボランティアに出掛けたり募金をしたり、原発都民投票運動をしたりと熱心な方が多かった印象です。今は、被災地のことを話題に出す方、原発のことを話題に出す方はほとんどいらっしゃいません。

 

私は地震直後、仙台に住む妹と電話で話し、出先に車を置いて帰った方がいいと話した直後、電話は通じなくなりTVには津波の映像が流れました。

 

「もう、妹に会えないのかもしれない。」と実感が持てないまま時間が経つごとにもの凄い喪失感に襲われ、茫然としておりました。あの怖さは忘れられません。

 

幸い、妹は無事で、数日後、連絡が取れてほっとしたものです。私達家族はラッキーでした。でも、ラッキーとはいえ、大事な方を失った方々とは紙一重だったと思っております。

 

被災された方々の心の痛みを自分の痛みと同じく思い続けること。被災していない土地と被災した土地はどちらも日本です。被災していない土地に住む私達と同じように暮らせるように、一刻も早い復興がなされることを祈ります。

 

見えないものは無いものには出来ないほどの出来事だったのに、薄まる思いを感じるにつけ、自分はどうだ?と振り返ります。私だって薄まってきているなと思います。節目はこうして振り返り、よし、自分に出来る範囲で支援活動は続けるぞと気持ちを新たにいたしました。