上京してうちに泊まっていた母が帰りました。私以外の存在が傍にいて、あれやこれやと語りかけてくる賑やかさが無くなって、少々寂しさを感じております。
弟夫婦と同居し始めて、父や母の話題は孫の話が多くなったと感じております。他人が聞いたら相槌も打ちにくいような瑣末な孫のエピソードを思い出して話しては、一人勝手に笑い出したり、まあほぼ笑顔でいる訳です。
小さい子どもの体力に負けて、疲れたとこぼしたりもしますが、ほぼ笑顔でいるでしょうか。幸せそうです。
そういう益体の無い話の合間に、祖母と私の関係や、私が小さい頃の祖母と母の関係などを思い出しては、感慨深い気持ちになるとも言っておりました。
それを聞いて、私も大人の目で、まだ小さい甥や姪に小さい頃の自分を投影して見たり、小さい自分の面倒を見てくれた祖母を思い出したりして、やはり感慨深い気持ちになりました。
若い時は、やはり絶対的に浅墓なのです。それは人生経験の少なさからくる想像力の欠如とか、年齢的にしょうがないことなんだと今は思います。
ただ、生きて経験が増えていくうちに、特にその立場になった時に、ようやく思いが至るのが本当なのだと思います。そして、ああそうか!と思いが至った時に親はなし、みたいなことで、後悔する方は多いのでしょうね。
まあ、愛するひとが亡くなり「ああすれば良かった」と悔やむのは、愛があるから故のこと。愛が無ければ後悔もないのです。だから、もしこのブログを読んでいて、悔やんでいる方がいらっしゃったら、ご自分の愛情深さを愛していただけたらと思います。
ということで、私の場合。
孫もいいけど子育てはママの仕事と適当にスルーして、うちにまた遊びに来てもらって、一緒に過ごす時間をもっと持てたらうれしいな、と。
自分で会いに出向かず、「店番しなくちゃいけないし」と親のお金と時間を使ってこちらに呼び寄せるのは、『私の愛のなせる仕業』なのです。ふふふ。
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佐藤 はは (日曜日, 20 5月 2012 23:25)
そうね、そうする。キチンとした所に移れるように住まい情報を漁るわよ。